お清めの塩とは何?正しい使い方とマナー

葬儀

通夜や葬儀でもらう会葬状の中に、お清め塩の小袋が入っているのを見たことがありませんか。家に入る前に塩を使って清めるという風習は知っていても、正しい作法はあやふやだという方も多いでしょう。そこでお清め塩の由来や意味、使い方の作法などを紹介します。あわせて、お清め塩に関する疑問についても解説します。

目次
●お清めの塩とは
●お清めの塩は宗教や地域によって使わない
●お清めの塩の使い方
●お清めの塩についてのよくある疑問
●まとめ
●證大寺|葬儀のご相談

お清めの塩とは

お清めの塩とは

お清めの塩とは、通夜や葬儀に参列した際に、会葬礼状などに入っている小袋に詰められた塩のことです。「清め塩」ともいいます。身体に振り掛けることで、ケガレや邪気を遠ざけ身が清められるとされています。

お清めの塩の由来

塩は、人が生命を維持するのに不可欠なものです。それだけに昔から価値が高く、古代ローマでは兵士の給料を塩で払うなど通貨として使用されることもあったほど高価なものでした。では、なぜ塩が身を清めるために用いられるようになったのでしょうか。

塩には浄化作用がある

古代より世界各地で、「塩には浄化作用がある」と考えられてきました。塩には細菌やカビの増殖を抑える殺菌作用があり腐敗を抑える効果があります。食品の腐敗防止だけではなく、遺体の腐敗の進行を遅らせるためにも塩は使われてきました。昔は細菌等の存在が知られていなかったため、邪悪なものが腐敗を引き起こすと考えられていたといいます。実際、古代エジプトではミイラ作りの際に塩を防腐剤の1つとして利用したとされています。このような経緯から「塩には浄化作用がある」と考えられたようです。

神道では、死はケガレ

日本で塩をお清めに使ったとされる記述は『古事記』にまで遡り、イザナギノミコトが黄泉の国(死後の世界)から戻った際、海水で禊祓(みそぎはらえ)を行ったとされています。このような逸話から、神道では死を「ケガレ」と考えられています。またケガレは、「気枯れ」から来ているともいわれ、人が亡くなると悲しみで「気」が「枯れて」しまい、気を元の状態に戻すために塩を使って清めることで、気が枯れていない状態に戻るのだともされています。神道での考え方を背景に、日本では葬儀等に参列すると死に触れることになり、ケガレに染まると考える風習がありました。それを家に持ち込まないために、「塩で清める」という行為が伝承されてきたと考えられます。

お清めの塩は宗教や地域によって使わない

お清めの塩は宗教や地域によって使わない

死をケガレと捉えて清めるというのは神道の考えに基づくもので、仏教では死はケガレの対象ではありません。しかし長年の風習や神仏習合などの影響もあって、仏教式の葬儀等でもお清めの塩が定着したと考えられています。とはいえ、お清めの塩を使わない宗教・宗派や地域もあります。

お清めの塩を使用しない宗教・宗派

浄土真宗では、お清めの塩は使用しません。浄土真宗では人は亡くなると仏様になるという教えがあります。死をケガレ扱いするのは故人に対する不適切な行為であります。清めるという行為は必要ありません。最近では浄土真宗の考えに賛同し、他の宗派でもお清めの塩を使わないでよいとしているところが増えてきています。
またキリスト教などでも死はケガレとは考えず、お清めの塩を使うことはありません。

地域によっては塩以外でお清めを行う

海沿いの地域では、塩でお清めをするという考えでなく、葬儀の帰りに海辺に寄って、海水で手を洗い口をすすぐことによって清めるのだとするようです。そのほか、米や味噌、豆腐などを食べることで清めとした地域もあるといいます。尚、通夜振る舞いの食事やお酒にも、お清めの意味をもつというふうにもされている地域があるようです。

お清めの塩の使い方

お清めの塩の使い方

最近では、かつてほどお清めの塩の風習は重要視されなくなってきました。しかしお清めの塩を使う場合は、その作法に則って行うようにしましょう。具体的な手順は以下の通りとなります。

1.自宅の玄関前で準備する

お清めの塩は、通夜や葬儀から自宅に帰ったあと玄関前で使うのが一般的です。通夜や葬儀での、死に寄りついたケガレや邪気を家の中に持ち込ませないために、玄関の前で行うようにします。

2.手を洗う

お清めの塩を使う前に、まず手を洗います。自宅の外に水道がない場合は、葬儀等に参列していない家族に手桶や柄杓などを用意してもらって手を洗うようにします。
しかし実際には、玄関前で手を洗うことが難しいため、現代では省略されている場合が多いです。

3.胸元、背中の順に掛ける

水で手を清めた後、お清めの塩を使います。ケガレや邪気は血流とともに身体を巡るとされているため、血の流れに沿って掛けていきます。まずは胸元に塩を掛け、続いて背中に掛けていきます。自分で背中に掛けることが難しい場合は、家族に掛けてもらってもかまいません。

4.最後に足元に掛け、落ちている塩を踏む

最後に、足元にお清めの塩を掛けます。掛けた後に服に付いた塩はよく払うようにしましょう。掛けた塩にはケガレや邪気が移っているといわれているため、塩が服に付いたままだと家の中に入り込んでしまうとされます。しっかりと払うのが作法です。
そして、足元に落ちた塩を踏んでから家の中に入ります。落ちた塩を踏むことで、完全にケガレや邪気を断つことができるといわれています。

お清めの塩についてのよくある疑問

お清めの塩とは

お清めの塩に関する、よくある疑問をまとめました。知識として知っておくと何かと安心ですので、参考にしてください。

お清めの塩はどこでもらえる?

通夜や葬儀に参列した際に渡される会葬礼状の中に入っているのが一般的です。大規模な葬儀で参列者が多い場合などは、小袋の塩を用意せずに会場の出口付近に塩を敷き詰めた一角を用意し、会葬後に塩を踏んで外に出られるようにしてお清めを行う場合もあります。また火葬場から葬儀会場に戻った時に、塩と水とを用意してお清めできるようにしている場合もあります。
ただし浄土真宗の通夜や葬儀では、お清めの塩が配布されることは稀です。また最近では「お清めの塩は単なる風習」という考えから、通夜・葬儀で配布しないことも増えてきています。

お清めの塩が余ったらどうすればいい?

お清めの塩は全て使い切ってしまうのがおすすめですが、余ってしまったらゴミとして処分してかまいません。お清めの塩には香料が入っていたり固まらない処理がしてあったりする場合が多く、基本的に食用ではないので口にしないように注意しましょう。

お清めの塩を使うのを忘れてしまったら?

お清めの塩は、神道由来のもので仏教徒は使わないのが本来です。風習のようなもので、もし忘れてしまったとしてもあまり気にする必要はないでしょう。
そうはいっても気になる場合は、喪服のままで一度家の外まで戻って、上述した作法通りにお清めを行ってから家に入り直すようにします。喪服から着替えた後に忘れたことに気づいた場合は、喪服にもお清めの塩を掛けるようにします。
ちなみに神道の場合でも、お清めの塩を使うのは参列者だけで、喪主や親族は使わなくてよいとされています。

お清めの塩が入ってなかったら?

お清めの塩が入ってなかったら?

最近では仏教式の通夜・葬儀で、会葬礼状の中にお清めの塩が入っていないケースも増えてきています。特に気にならなければ、お清めの塩を使わないままで問題ありません。気になるようなら料理で使う食塩で代用してもかまわないとされています。家の中に入る前に、参列していない家族に玄関外まで持ってきてもらうか、お店で購入するなどして用意するようにしましょう。その場合は、できれば海水から作られた天然塩が望ましいとされています。

お清めの塩と盛り塩の違いとは?

お清めの塩と混同しやすいものとして、盛り塩があります。どちらも塩を用いるので混同されることもありますが、用途や意味合いが異なります。
お清め塩は葬儀等で身についてしまったケガレを祓うためのものです。一方、盛り塩は厄除けや魔除けの風習として行われるもので、塩を三角に盛って置くというものです。家の東西南北にあたる4方向と、表鬼門・裏鬼門の合計6箇所に置くのが基本とされ、悪い運気を取り除き、よい運気を招き入れるとされています。また盛り塩は飲食店などで商売繁盛・千客万来のおまじないとして置かれることもあります。

まとめ

まとめ

お清めの塩は通夜や葬儀に参列した後、身を清めるために使うものです。神道由来のもので、仏教式の通夜・葬儀では本来使う必要はありません。信仰する宗教や自分の考えによって使うかどうかを決めてかまわないと考えるのが、現在では主流となりつつあります。しかし日本では風習として根付いており、お清めの塩を使いたいという方もいるでしょう。その場合は正しい作法を守って使うようにしましょう。

證大寺|葬儀のご相談

證大寺|葬儀のご相談

葬儀の説明をする様子

江戸川区にある證大寺は、浄土真宗の大谷派の寺院であり、葬儀の相談も行っています。
浄土真宗での葬儀の場合、お清めの塩を使うことはありません。ただし證大寺では、お清めの塩は風習なので是非とも行えるよう参列者に配りたいという場合は、特に咎めはしないそうです。なぜなら些末なことにこだわるよりも、意義のある葬儀を行ってほしいという願いがあるからです。
證大寺での葬儀は「浄縁葬」と呼ばれ、葬儀を別れの場ではなく「出会い直しの場」と捉えています。故人と生前に出会えたこと、今までしてくれたこと、一緒に過ごしてくれたことは当たり前ではなかったと気づき、最後にありがとう、ごめんなさい、そして決して忘れませんと出会い直す機会こそが葬儀であると考えています。だからこそ故人と遺族とのお別れの時間を大切にし、急な訃報で気が動転しがちな喪主には添い人がサポートを行うなど、きめ細かな心尽くしで対応しています。
通り一遍ではない心ある葬儀を希望される方は、證大寺に相談してみてはいかがでしょうか。

お清めの塩に関する監修
仏教人生大学 講師
梅原 博

PROFILE
1973年に真宗大谷派にて得度。真宗学は大谷大学にて学ぶ。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。真宗大谷派名古屋別院では法話講師を務めている。

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