インタビュー
住職インタビュー

住職になる前は
大学卒業後にアメリカへ留学に行こうと決めてました。
しかし、丁度そのタイミングで父が末期がんで余命半年と宣告されました。
井上 城治
1973年生まれ。大谷大学真宗学科卒業。修士課程真宗学専攻。東京都江戸川区の證大寺の二十世住職。
一般社団法人 仏教人生大学理事長。
手紙を通して亡くなった人と出会い直す大切さを伝える『手紙寺』を運営している。
趣味はカフェ巡りやスノーボード。月に3回程度の出張では日本酒の酒蔵を巡ることが多い。
既婚者であり、現在は4人の子を持つ父でもある。
住職になる前は大学卒業後にアメリカへ留学に行こうと決めてました。しかし、丁度そのタイミングで父が末期がんで余命半年と
宣告されました。当時は父とは折り合いが悪く、会話をすることも少なくなっていましたが、兄弟もいないことから後継としてお
寺を継ぐしかないと思い、日本へ戻ることにしました。そして、父のガンをきっかけに生死とは何かを考えるようになり、日頃学
んでいた「仏教」が私にとって必要なものなのではと感じ、お寺の道へ進む事を決めました。
お寺に戻ったのはいいものの、自分自身の力が足りないと感じ、お寺を母とお手伝いさんに任せて(大学の)修士課程に戻っ
て、一から勉強を始めました。その後、寺に戻り愕然としました。なぜならお寺なのにお寺らしいことをしてない、法事なのに亡
くなった人のことを話していないなど、本来大切にすべきことができていないと感じたからです。
経営者であり住職として、、このお寺を自分で変えようと思いました。その時に感じたことで今も大切にしているのは「創業者の
理念」です。創業者がどのような想いでこのお寺を創設し、今日まで続けているのかを想い始めました。折り合いが悪かった父に
も亡くなる前には認めてもらうことができ、「創業者の理念」を同じように大切にしていることに共鳴しています。
まずは住職として基礎的な知識や今後に役立つ力をつけたいと意欲的な方。0からお寺を開きたい方、開教したい方などが向いていると思います。
私と同じく、後継としてお寺のことを学びたい方も大歓迎です。長男でなく次男として生まれて、いつかはこの仕事がしたいという方にも良いと思っています。
同じ志の持った方々と、本願寺の支店を増やし「お寺の意義」を取り戻していきたい。
また、證大寺は別院や道場を経営しております。これからも増やしていく予定ですし、地域の中でのお寺作りを進めて行こうと思っています。その責任者として、仲間を増やし、「お寺の意義」を普及させていきたいと思います。
現役インタビュー

環境の似ている井上住職の元で、證大寺での学びを続ける日々
目﨑僧侶
所属:真宗大谷派 三寶寺(神奈川県伊勢原市)
経歴 大谷大学、修士課程を経て博士課程まで
本山
同朋会館 常勤補導(5年間)
在籍期間:2019年5月~在籍中
森林公園昭和浄苑に在籍中の目﨑です。證大寺に入り5年目を迎え、年齢も上から2番目になりました。私は神奈川県の出身で、大谷大学に進学し、2014年まで研究職として残りました。その後、2019年までは東本願寺の同朋会館へ。全国の門徒さんの宿泊や研修のお世話をしながら5年勤めました。
その頃すでに結婚し子どももいた私は、実家を継ぐことを考えましたが、お世話になった先輩から東京教区に證大寺というお寺があり、(実家と同じ)関東圏なので見てみたらどうか」という話を聴いたのです。私のお寺は父親が開基住職としてお寺を建立して私で2代目です。證大寺の住職も、先代住職が首都圏開教で九州から都内にお寺を移設されてから、私と同じ2代目になります。お寺を開くのはとても大変なことで、仲間や師匠を見つけたり、上下関係が重要になる厳しい世界です。ですので、同じ境遇で何歩も前を進んでいらっしゃる井上住職に直接学び、それを持って自分のお寺に帰ろうと考えたのです。加えて勤務先の森林公園昭和浄苑の庫裡(住居)に家族で住まいできるようご配慮いただいたのも助かりました。
私の祖父は新潟の出身。近所は全員目﨑姓で、屋号で呼んでいたそうです。その中に仏教に詳しい方がいらっしゃり、祖父は戦地に赴いた際、仏教の教えに大変励まされたそうです。復員しても「私は仏様に生かされた」といつも話しており、仏様や命への感謝の気持ちを祖父から継承したいと、父は僧侶となり開教に踏み切りました。それまでは住居だったわが家は、認可後改築へ。見た目は住宅なのに、中には仏間と本堂がある家に住み、法要が始まると2階に上がる私は「お寺の子だけどなんか違う」という状況から、同級生によくからかわれました。
そんな私に転機が訪れたのは高校生の時。週末に遊ぶ約束をしていた友人と、金曜日にケンカし、ぽっかりと空いた週末をモヤモヤと過ごしていた時でした。気づくと階下から法話の声が聞こえてきたので、1階に降りてみたのです。すると、学校では教えてくれないような話をしていました。内容は「人生でいい実がなっているなら、どんどん水を与えて育てましょう。悪い実なら水を枯らしましょう。そして自分の行いを見直しましょう」というようなものでした。ケンカの原因は、思い出せないほど些細なことでしたが「僕は悪くない」の一点張りだった私。友達の気持ちなど一切考えていなかったことに気付き、深く反省しました。そして、自分を省みることで気持ちが晴れた私は、仏教を知りたいと思うようになったのです。
現在は、7:30に開門してお花屋さんを迎え、8時30分から30分ほど本堂にてお朝事(おあさし)。お朝事では職員やご門徒さんが参加して、正信偈同朋奉讃、『歎異抄』拝読、参加者の感話を受けて法話。その後は永代供養墓に移動して読経。森林公園は広々としており、本堂があり、僧侶がいる環境。ですから「いつでも話しましょう」「どんな小さなことも訊いてください」という雰囲気を出すようにしています。
證大寺の魅力としては、やはり法務を実際に学べることだと思います。あまり知られていませんが、通常お寺で修業する際は、一般企業でいうところの「経験者」が求められます。「1人でお葬式を執り行えません」という人は入れません。しかし證大寺なら大丈夫です。私も大学で知識を得て東本願寺に入りましたが、実務をしていなかったので「葬儀ができないのですが大丈夫ですか」と訊きましたが、「もちろん、いちから教えますよ」と言ってもらいました。自分のお寺に帰る際、一番不安なのは法務の作法。講師として仏教を教えることはできても、お経と法話を併せて経験が積めるお寺は、日本でも少ないのではないでしょうか。
また、さまざまな講師から話が聞けるのもいいところです。中でも、九州大谷短期大学学長の三明先生からの学びは特別です。聴講のほかに職員向けの講座もあり必死でメモしたものが自分の内に積み重なり、日々の法話で活用できるのです。これも、證大寺が学びの場として最適だという証。多くの人に自慢したいですね。
證大寺に入ってから、周りの先輩方に「芯が通ってきた」と言われるようになりました。数えきれないほどの失敗をしてきましたが、日々学びを積み重ねてきたことで、言葉の表面だけでなく、その重みが腹落ちしたのだと思います。ご住職や先生のお陰ですが、少しずつ積み重なった自信が醸し出されていたのなら、嬉しいですね。自分の経験からお話しするとするなら、本気でやりたい人こそ外に出ることを薦めます。親から教わるとひいき目になったり、逆にケンカになりますからね(苦笑)。外に出たからこそ、客観的視点ができると思うんです。
現在、森林公園を任されていることもあり、責任感が生まれ、作法を学ぶことで日々背筋が伸びる思いがします。例えば自宅ではモノを何気なく置いたりしますが、お寺では真っ直ぐ音を立てないよう置く。お経もただあげるだけではなく、くしゃみをしている方がいたら、本堂が寒くないのか考える。こうした小さなことに「気づく」ことが、気遣いや学びに繋がるのだろうと信じています。
これからも、私の修業は一生続きます。学び、吸収して伝え、また学び…をひたすら続けていくことでしょう。井上住職と一緒におりますと、率先して仏法を求める姿勢を感じます。ですから、自分だけが発信するのではなく、「一緒に講座を聴きにいこうよ」という気持ちで、救いを求める方や悲しみを抱える方と一緒に勉強し、よりいっそう人生を深めていきたいと思います。

あらゆる人への感謝と尊敬が、わたくし自身に、今一番何をなすべきかの道を自ずと開いてくれます。
梅原僧侶
1986年に大谷大学文学部真宗学科卒業
その後、名古屋大学大学院文学研究科修士課程修了、
東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学
わたくしは「開教布教」という志をもって、60歳を過ぎて證大寺に入職をさせていただきました。当初この年齢でどうだろうか、との不安が率直に言ってありました。しかし、お寺に入職し実感しましたことですが、年齢や経験そして能力等は直接的には大きくは影響しません。要は、自分以外のあらゆる人への感謝と尊敬を尽くしていくことであります。このあらゆる人への感謝と尊敬が、わたくし自身に、今一番何をなすべきかの道を自ずと開いてくれます。これが実は、そのまま開教布教に繋がるというより、これこそ開教布教の原点となりますもので、また実際そのものと言えます。開教布教と言っても、決して難しいものではないのです。今の今、隣の方が何に困っておられるか、それを案じ少しでも手を差し伸べるという、そこから始まり、またそれに尽きるものでもあります。
證大寺には、たくさんの方々が来寺されます。このお寺は、本坊が東京都江戸川区、そして支坊を埼玉県と千葉県に構えており、ここには本当に多くの方々が来られます。お越しになる方々は、お元気そうに見えましても、実は、さまざまな悩みや不安、生と死をめぐる言いようのない思いを抱えておられるのです。このとき、単なる理知分別で対処的な手段により応じることは、むしろ逆効果となります。お一人お一人のお心に寄り添うことが何よりも大切です。そこに、確かな心のご縁が繋がってゆくのです。これが浄縁というものになります。この浄縁により、多くの方々と共にわたくしにおきましても孤独という不安が消えてゆくのです。
證大寺は、まさしく人々を、そしてわたくし自身までも決して孤独にさせません。そのような差し向け(回向)が、このお寺には満ち満ちています。
この世の中において、人々に感謝と尊敬が欠落していると認識されながらもそれを非難せず、誰よりも自らが、世の人々に感謝と尊敬を尽くして共なる繋がりを得んとする、そのような僧侶を衷心より求めるものであります。
卒業生インタビュー

自分なりの答えを見つけたいと、学びと実践を行い続ける
島津僧侶
現在の所属:真宗大谷派 慈廣寺(福岡県 福岡市)
経歴 大谷大学卒業後、真宗大谷派
鹿児島別院に勤務、専修学院(別科まで)
在籍期間/2022年4月~2024年3月
2024年の3月まで、證大寺で修業をしておりました、島津と申します。出身は福岡県福岡市。実家は明治時代に開基した慈廣寺というお寺です。小さい頃からお寺の行事に参加していましたが、兄が病弱でしたので自分が継ぐことを考え、高校生の時に得度を取り、大谷大学に進みました。大学卒業後は、鹿児島にある大谷派の別院へ。別院では実際に法務に携わり、行事になると先生とのやり取りも含め、実践的に学び、3年間を過ごしました。その後、実家にすぐ戻る予定だったのですが、ふと「勉強はなんのためにするのだろう」という素朴な疑問が生まれました。恐らく、それまでが順調すぎていたのと、どこかに慣れも生じていたのかもしれません。「もう少し学びたい」、そんな思いの中で京都に戻り、大谷専修学院に2年間通いました。環境を変えたのがよかったのか、自分の道も定まりはじめ、講義などを受ける中で、東京の教化の現状を知りたいと考えるようになりました。実家や先生からも薦められたこともあり、東京の證大寺での修業を決めました。
證大寺に入って一番良かったのは、学びの場が多いこと。他の寺院に法務員として勤務している友人と話をしていると、学びの機会がとても少ないと聞きます。しかし證大寺では、学びの機会がとても多く、聴くことで改めてはっとすることも多いですし、自分で解釈しながら学んだ内容を日頃の法話に活かせるのが、とても有難いですね。一番印象的だったのは「仏教人生大学」で、銀座という土地柄、さまざまな方がいらっしゃる開かれた場でしたので、吸収できることばかり。仏教人生大学では週1回のメルマガ執筆も担当していたので、日頃の学びを発表する機会となり、また自分の考えも整理できました。苦手を克服し、自信に繋がったこともあります。実はあがり症の私。一般の方もいらっしゃる、大手町サンケイプラザを会場としての毎月2回の講座では、多くの参加者の前で冷や汗をかくばかり。その上、講座の最後には、本日の法話の内容についての受けとめを感想としてお話するため緊張の日々でした。しかし「習うより慣れろ」というように回数を重ね、役割を果たすことができるようになりました。
同じく、證大寺では、京王百貨店
新宿本店にて、公開講座を毎月開催していますが、私は定期的に写経の会を担当させていただいたのも、貴重な経験です。「正信偈」や「和讃」を書いてもらいましたが、日常的にお寺にいらっしゃらない方など、普段出会えない方と接することで、「どうわかりやすく仏教を伝えるか」を考えさせられました。
先程述べたように、メルマガや法話といった発信の機会に恵まれているのは、證大寺の一番の良さです。特に「こういう住職になりたい」という明確な目標がある人には、とてもよい場所だと思います。かくいう私も、試行錯誤する中で「門徒さんと寄り添いながら、一緒に学び、聞法していく」という目標が、より明確になりました。もちろん、目標が決まってない方でも大丈夫です。例えば、「仏教とはどういうものなのだろう」や「人は何を課題として生きているのだろう」といった疑問を抱いている方。「そもそも、生きることとは何だろう」ということを知りたい、わかりたいという方にはぴったりの場所だと思います。目標を探している人にとっても大きな刺激となる環境があります。日々の法務の中や、毎朝の法話の中にきっと答えは隠れています。「お坊さんができることとは?」という課題に、日々向き合えるのではないでしょうか。
東京はいろいろな地方から移り住む方が多い土地ゆえ、生まれ育った福岡と比べ、お寺と門徒さんの距離が少し遠いように感じることもありました。また證大寺ではお墓を通して新たなご縁を持つ方もいるのでなおさらでした。だからこそ、忘れかけていた「同じ目線に立つ」ことが学べました。よく知っている方だけではなく、初対面の方とも関係をいかにつくっていけるかということも学ばせていただきました。今後は地元で、門徒さんのお話を伺い続けることが私の任務になりますが、人の苦しみはお坊さんですらどうこうすることはできません。「こうだよ」と諭すこともできません。ですから、自分の課題として、證大寺で学んだ「同じ目線に立つ」ことを基本にし、一緒の方向を見ながら「荒波」を「さざ波」くらいの緩やかさにできるお手伝いをしていきたいです。私の好きな言葉であり目標は「世の中安穏なれ、仏法広まれ」。仏法は私の中で「自分ごとの問題」として受け止めさせてくれる大事なものです。今後も遠い福岡から、證大寺で学んだ仏法を、できる限り広めていくのが自分の使命だと思っています。

4人兄弟の末っ子長男として生まれ、明治から続く寺の跡取りへ
神島僧侶/釋一誓(しゃくいっせい)
現在の所属:真宗大谷派 圓光寺(栃木県 那須塩原市)
経歴
大谷大学、修士課程まで
在籍期間/2020年4月~2023年11月
私のお寺は栃木県の那須塩原市にあるのですが、その礎は、明治時代の那須疎水の灌漑と深く関わりがあります。地盤が粘土質で、雨が降ると近くの川は大暴れする塩原。そんな場所を開墾するには団結力とリーダーが必要ということで、北陸から真宗門徒の方がいらっしゃり、その方の要請に応じてお寺が作られたそうです。私は6代目ですが、姉が3人おりましたので、漠然とお寺を継ぐことを意識していました。小さい時から門徒さんにかわいがっていただき、自然に道を目指したように思います。9歳で得度を取り、地元の高校を出て大谷大学の真宗学科へ。その後大学院で2年学びました。
修士までは順調でしたが、すぐに寺を継げる実績は当然ありません。「この状態で戻ってどうするのだろう」という漠然とした不安や、何も知らないという危機感がありましたし、父も「外に出た方がいい」と言っていました。そこで大学の学生支援課に相談したところ、證大寺を薦められたのが修業のきっかけです。面接を受けるために上京した時、九州大谷短期大学学長の三明先生の講義を聴いたことを覚えています。自ら足を運び、講義を受けにいくこと自体が新鮮でした。こうした講義を熱心に開いているお寺なら、勉強もたくさんできるし、不安も解消できるに違いない、ぜひお願いしたいという気持ちで面接を受けました。
冒頭に私のお寺の歴史を述べましたが、證大寺の面接の際に、證大寺住職から「神島さんのお寺の開基は?」と聞かれた際、お恥ずかしながら何も答えられませんでした。「まずはそこからだね」という住職のお言葉とともに、私の修業は始まったのです。これまで法務などさまざまな経験をいたしましたが、印象に残っているのは、東銀座に證大寺が開いている「仏教人生大学」の運営や広報の仕事です。参加される方と一緒に講義を聴講したり、座談会での交流はとても勉強になりました。
地元のお寺には年配の方が多いですが、東銀座はいろいろな方がいらっしゃり「退職したらどうしよう」「突然病気に見舞われた」といったお悩みを傾聴する事も多々ありました。もちろんまだ若いので「そんなことでどうするんだ」とお叱りを受けたこともありますが、それらの全てが、今の自分を育ててくれたと思いますね。
證大寺では、新人であっても毎朝の勤行の法話などご法話をさせてもらえる機会が多いので、何にも代えがたい経験が積めたと思います。今、自分の言葉で聞法会が開けるようになったのも、證大寺で「仏教」そのものを徹底的に学ばせてもらったからです。浄土真宗は念仏の教えを軸に「どう思い、どう生きていくか」が大事なのですが、父親ともそういう話ができるようになったのも、證大寺での修業のお陰です。
今後は、門徒さんの今の気持ちや、どんな言葉がけをするかを常に考え「人ごとにせず、寄り添う」ことを第一に考え、教わったことを最大に活かせるよう、いっそう励みたいと思います。私の好きな『歎異抄』にある「ひとえに親鸞一人がためなりけり」という言葉にあるように、全てを自分ごとにできる住職を目指しています。2023年の終わりに地元に戻りましたが、お寺の行事をする際のお荘厳(お仏壇のお飾りやお供え)を整える時などに、ふと證大寺での日々を思い出します。振り返ると、修業時代には数えられないほどの失敗がありました。しかし、長い目で見てサポートしてくださり、「次、どうしたらいいのか」をしっかり伝えてもらったので、実務に携わりながら勉強できたと思います。證大寺の先輩僧侶の方もそうですが、事務方の皆さんも魅力的な方ばかりで、彼らと接する中で背筋が伸びる気持ちになることもよくありました。いつでもどんな時でも見ていてくれて、しっかりと支えてくれる。證大寺は、そんな恵まれた学びの場であると私は思います。證大寺を卒業するに当たり、ご住職から最初に宿題を出されていた自坊の開基住職がどんな人で、どんな想いで那須塩原にお寺を建立されたのかを自分の言葉で言えるようになりました。私がそうであったように、大学や学院を出た後にいきなり自坊に戻るのではなく、證大寺で研修を積むことで生涯、僧侶として生きていく基礎が養われます。これからも證大寺の報恩講や勉強会に参加をして参りますので、皆さんの先輩として助言ができることがあればと思います。

偶然の出会いから、学びへ仏教への道が少しずつはじまる
樋口僧侶
現在の所属:圓光寺(京都府京都市)
在籍期間:2019年5月~2022年4月
実家は1471
年に滋賀県の野洲で開経、1602年に京都に移り、自分で17代目になります。京都・大谷高校で僧侶の資格を取りましたが、大学は普通の学校に行きたいと、関西大学の商学部に進みました。卒業後は医療機器関係のメーカーへ。海外赴任なども経験したあと、40歳くらいでお寺を継ごうと考えていました。
ところが入社してしばらく経った時、転機が訪れました。まず、社会人としてお寺を見てみると、世の中の仏教離れが著しく、少子化も重なり檀家制度が減少しているのを知り、漠然と不安を覚えたことです。そして、付き合っていた妻の母親が病気になったこと。お陰様で現在義母は元気ですが、当時は今後の命を考える状況にあり、相談をされても「お坊さん」として悩みを解決できませんでした。資格はあるのに、何もできない自分を、ペーパードライバーのようだと感じたのです。
こうしてお寺や仏教の意味を考えはじめた時、たまたま勤務先がグッドデザイン賞を受賞し、東京に出張に行きました。するとご縁があったんでしょうか…お墓のグッドデザイン賞を受賞した證大寺さんが近くにいらっしゃったんです。本部の田村さん、偶然ご住職もいらっしゃり「実家がお寺なんですよ」と話をしたのを覚えています。
證大寺に魅力を感じた私は、土日の休みを利用して、船橋の浄苑を訪れました。退職の決心は付かないままでしたが、ある日骨折で休職することに。通勤はできずとも心身は元気だったので、先輩やSNSを通じた方々と出会い、学びたいと思いました。その中で「会いたい」と思ったのが證大寺の溝邊さん。お話を伺ううちに、ますますお寺の仕事に惹かれていきました。住職は「せっかく就職したのだから、会社にいた方がいいのでは?」と言われましたが、会社員生活が3年になる頃、證大寺への気持ちが強くなり退職、修業に入りました。
希望職種は事務。商学部から一般企業に進んだこともあり、僧侶としてだけでなく、経営や戦略を直接学びたいという気持ちが強かったように思います。カフェや手紙寺を企画したり、ちょうどコロナ禍だったので、youtube講座やオンラインの講座の設計に携わったり。お参りに行けない門徒さんにタブレットを送り、遠隔でのお参りも行いました。住職が海外を見据えていることも、この時知りました。もちろん僧侶としての経験も積ませてもらい、作法や実践を行うことで、自分が何も知らなかったと改めて知りました。
證大寺での学びはあまりにも多く、選びきれませんが大別するなら2つです。
1つ目は、僧侶としての作法と実践。
真宗の教えを学んでも、良質にインプットしないと出せませんし、法話集を暗記して話すだけでは薄っぺらくなってしまう。例えばお店を紹介する際、テレビで見ただけの店と自分が行った店では熱量が異なるのと同じで、作法に則りながら咀嚼し、どう栄養にするかが問われます。また、実際の法話や葬儀では、相手の旅立ち方次第で仕草や言葉が刃になることもあります。全てにおいて自分ごとにすれば、接し方は自ずと変わると学びました。他の学問と違い、仏教は積み上げるのではなく、自分自身を知るための学問です。階段を上がりながら経験を通じて、どう気づくかが要になります。とはいえ、理解のタイミングは年齢や経験値で異なるので、いつかのために受け入れる姿勢も大切です。実は、私たちは人の苦しみを救うのではなく、伝えることしかできません。件の義母の時も、私は「救わなくては」と思っていましたが、救うのは仏様。ひたすら教えを説き、ただ寄り添えばよかったのだと、ようやく気づけました。
2つ目は、お寺の経営について。
経営という言葉は冷たく捉えられがちですが、門徒さんを守るためには重要なことです。そんな中、證大寺では門徒さんのための講座をし、真宗を軸として全てを考えています。「お墓って何? あなたにとっての意味とは?」と、背景や成り立ちから考えるので、モノではなく価値を売っているんですよね。加えて、昔から淡々と儀式として行う法要の意味を捉え、現代ならこう伝えた方が伝わるのでは?と考える機会にも恵まれました。自分軸ができたように思います。自分のお寺に戻って迷った時や課題にぶつかった時、ふと證大寺のことや「住職や先輩ならどうするだろう」と考え、心の中に皆さんの姿が浮かびます。結果たどり着くのは、ずっと教わり続けた「生涯聞法」という言葉。今後も私の支えになることでしょう。
このように、證大寺は目的に対する学びが必ずある場です。もしかすると、修業先を待遇で選ぶ方もいるかもしれません。でも、「なぜ仏教を学ぶか」「お寺をどう捉えているか」について、迷ったり悩んだりしている方こそ、證大寺に来て欲しいですね。きっと、がむしゃらに学び、吸収できますよ。
祖父と證大寺のご縁から学びを重ねた4年間
工藤僧侶
現在の所属:神奈川県横浜市 南福寺
在籍期間:2018年10月~2022年11月
私のお寺は横浜市の青葉区にあります。もともと祖父が鹿児島で布教活動をしており、関東に真教を広めたいと、福岡県柳川市のお寺の分寺として2000年に開経したのがはじまりです。そして私が證大寺に入ったのは、大谷大学で6年間学んだあと、すぐでした。実は、證大寺の先代と祖父が知り合いというご縁があり「学ぶのであれば」と、證大寺の溝邊さんや父からすすめられて決めたのです。
よく「お寺を継ぐのに抵抗はなかったか」と聞かれますが、自分はレールが敷いてあったことが有難かったです。また、大学の論文は「肉食妻帯」。これは、真宗の僧侶がお肉も食べ結婚するからこそ、門徒さんの気持ちになれるという意味ですが、このわかりやすさも僧侶となるきっかけだったかもしれません。
私は人間というものに興味があるのでしょうか、知らない人を見ると話しかけたくなるんです。ですから、ご門徒さんと接することで、楽しい時間を過ごさせていただきました。普段関わる機会がない方々と話し、知らないことが知れ、世界が広がる。こんな嬉しい時間はないと思います。そういう意味では天職なのかもしれません。
実際に證大寺で学んだのは、法要の進め方です。真宗の型も證大寺の型もある中で、「どうすればわかりやすく、門徒さんに負担なき式になるか」を、月1度の法務部会議で話したことが学びになりました。
以前は、仏教=厳粛で堅くて恐い、という印象を持っていたんです。でも、ちゃんと学べば、厳しいだけじゃなくて理由があるとわかる。こうしたひとつひとつも證大寺で教わりました。実際、法要の意味は「大切な人と再び出遇い直すため」のものです。もちろん、静かに弔う気持ちは大事ですし、悲しいことは悲しい。ですが悲しみすぎたり後悔すると、故人は喜んでくれません。前を向いて欲しいのです。加えて、昔の法事は、囲炉裏を囲んで故人の話をし、子どもたちは周りではしゃいでいたそうです。その形を今こそ受け継ぎたいと思っています。
證大寺では、新旧のツールを上手に使い、真教を広めることも行いました。例えば、youtubeや公式LINE。「お寺が?」と思われるでしょうが、目的はあくまでも「真宗を広める」。もし今、親鸞上人がいらっしゃったらきっと「広まるなら何でも使いなさい!」っておっしゃったでしょう(笑)。ですから今後もどんどん活用しますし、パソコンが得意な方にも来て欲しいですね。最近は字を書く機会も減ってきていますが、私自身、写経の会を開催することでメンタルも鍛えられました。写経の会では法話もしますが、しっかり段取りしておかないとできないので、実践を詰めたのも糧になりましたね。
正直、證大寺はとても忙しく、厳しいです。私も落ち込んでいるときは余裕がなく、辛く感じる日もありました。でも厳しいからこそ学びがあるんですよね。「今、こうして学んでおくことが糧になる」とふんばってきてよかったと、離れてみて実感しています。こうした場所だからこそ、「働きたい」という気持ちより「学びたい」と本気で思える人じゃないと、自分のためにならないと思います。お寺を継ぐとか、開経した方、また、地方で過疎化が進んでいるお寺の若様などにも、薦めたいですね。私自身、興味がなかった分野ですら、銀座の講座で「こういうことか!」と何度も気づかされ、学び直し、蓄積することができましたから。もし今、確固たる目標がなくとも気持ちさえあれば大丈夫。必ず自身の関心ごとや学びが、證大寺にはあります。
さて、宗教問題はどの時代にもありますが、正しい教えを知れば恐くないですし、他の人に伝えていけます。自信教人信(じしんきょうにんしん)として、心が育まれるのでしょう。真教ではお墓に「行年何歳」と書きますが、それは修行の「行」。生きている間、誰にとっても学びは続くんですよね。そんな私が目指すのは「門を閉じない住職」。コロナ禍でも證大寺では必ず門を開き、法話を行っていました。コロナ禍だからこそ仏教を聞きたい方が多かったのかもしれません。偉そうかもしれませんが、こうした思いを後世まで伝え、真宗の良さを広めたいです。
私の好きな言葉に、真宗で学びを深めた宮沢賢治の「手紙」があり、その中に「楽しめるものは楽しみ、苦しまなければならないものは苦しんで生きて行きませう」という一文があります。人間だから、過去を悔やんだり、未来を憂うのも仕方ないですが、足元を見ず、目の前のことを受け入れていく。賢治はそう言っていると思います。自分自身が後悔しないように生きていくことが、故人様にも自分のためにもなると伝えながら、前を向く人に寄り添える人間になりたいです。
求人情報
證大寺では、法務未経験でも真宗大谷派教師として
真宗大谷派宗憲、第2条及び第79条-2の精神に則り精進出来る方。
次に掲げる僧侶としての資質を第一に、
当時の理念に賛同し、共に研鑚していける朋友を求めます。
応募資格
真宗大谷派教師を有する者。
法務経験者優遇。(※未経験者研修制度あり)
業務内容
何時でも当寺三つの願い(理念)に立ち返り、真宗大谷派教師としての本分を忘れず業務にあたっていただきます。
1. 法務関係
- 毎日のお勤め(お朝事・お夕事)
- 法要執行(年回忌法要・定例合同法要・通夜・葬儀の儀式執行)
- 清掃(内陣・外陣・後堂・境内清掃)
- 荘厳管理(お給仕(立華・日時黒板の更新など))
-
掲示版の作成(文言選定・文章作成・法話(担当月の28日))
※各僧侶が月替わりで担当します - 聞法会の運営・参加(当寺聞法会・量深学場(講師:三明智彰氏)など)
- 寺子屋活動の運営(ヨガ教室・陶芸教室など)
- 各行事の運営(子供会・夏まつりなど)
- その他関連業務
2. 事務関係
- 法務に伴う染筆業務(毛筆)
- 会議参加・書記業務(定例現場会議/月、法務会議/月、別途その都度会議あり)
- 各種案内の作成業務(はがき・チラシ・看板など)
- 各種報告業務(メール・社内ブログを使用)
- 資料作成業務(聞法会資料・会議資料など)
- 窓口等での直接対応(仏事相談など)
- 電話での対応(仏事相談など)
- その他関連業務
- ※事務作業ではパソコンを使うことが多いので、基本的(ワード・エクセル・メールなど)な知識と理解が必要です。研修制度あり。
3. その他
- 上記の定例業務のほか、当寺理念に付随する臨時業務(本山研修等の出張業務など)